35 名無しがお伝えします sage 2009/10/08(木) 09:30:44 ID:46Th62sJ0
自殺・心中の直接の原因は、『寝不足からくる精神疲労』だ。
これは、自分でも気が付かないうちに、取り付かれる。
次第に、強迫観念や杞憂やネガティブ思考になる。
それに自分でも気が付かず、『こう考えるのは当然だ』と思って見過ごす。
そして次第にノイローゼ気味になる。
これに対抗するには、
①早寝早起き ②食事は3度食べる ③運動をする ④柔軟体操をする
⑤神仏を尊ぶ ⑥勉強を欠かさない ⑦目標を持つ ⑧譲歩する
⑨酒タバコを呑まない ⑩パチンコギャンブルはしない
50億円の借金を抱えて、気にせず元気に生きている経営者を知っている。
地上げが、心中事件を起こしたのではない。
それは一つの要因に過ぎない。
もっと些細なことでも、人は自殺する。
疲れて、寝不足になるから、欝になって自殺するのだ。
くよくよ悩む暇があったら、、飯食って、糞して寝ればいいのだ。
明日は明日の風が吹くのだ。
自殺・心中の直接の原因は、『寝不足からくる精神疲労』だ。 - チラシの裏は真空パック (via 908908)
そうか「わけわかんねぇこと言ってねぇでクソして寝ろ」は最強の「生きろ」なんだな
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ああもう!!
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(via hsmt) (via cole107) (via ryusoul) (via gutarin) (via mnky) (via motomocomo) (via kiri2)
(via kotoripiyopiyo) (via soresore) (via konishiroku) Via コニシロク タンブラーアップルのモデルでは、ユーザーに対して本質的な価値を出しているのは、独自設計のiOSとその上に載っている音楽、ビデオ、アプリケーションなどのコンテンツ流通システムだが、実際に利益を出しているのはハードウェア…ところが、Android端末のモデルは、利益を生むべきハードウェアのビジネスに欠陥がある。
– 本田雅一のエンベデッドコラム(11):「Androidで誰がもうかるのか?」——誰かがもうかるルールの下でゲームをしよう! (2/2) - @IT MONOist (via zunda) Via (^ω^)やる夫のチラ裏やるお(^ω^)「ピザって10回言って」
「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピ ザ」
「じゃあ、ここは?」
「……わからねえ。一 体ここはどこだ…?」
「ようやく気づいたか。どうやら俺たち、と んでもない所へ迷い込んじまったみたいだ ぜ……」
「シッ! なにか来る!」
嘘だ…サンタクロースの正体がお父さんだったなんて…。お父さんがサンタだったとすると僕はサンタ一族の末裔…つまり次代のサンタは…僕…!!
– Twitter / N_A_FACE (via plasticdreams)(Source: homest)
Via (^ω^)やる夫のチラ裏やるお(^ω^)たとえば禁煙エリアにもかかわらず道端でタバコを吸っている若者がいるとします。当然それはよくないことですが、だからといってそれを発見したおじさんが注意しようと「おいお前!ここは禁煙なんだからダバコ吸うんじゃねー!」と言ったとします。確かにルールを破っているのはタバコを吸っている若者なのでこう言われても仕方なさそうですが、この場合、どちらも間違っています。タバコの男性も注意したおじさんもダメなのです。いくら相手がルールを破っているからといって、乱暴に注意をする資格なんて誰にもないのです。乱暴に注意した時点でそのおじさんも、タバコを吸った人同様に人に不快な行為、たとえば「死ね」という言葉を発するのと同じです。「乱暴に注意をすることは、乱暴な言葉を発する以上に乱暴をしている」のです。
また性質が悪いのは、どさくさにまぎれて自分のストレスも一緒に詰め込んでしまう人です。普段のイライラも一緒にその若者に対して「おいお前!」と、自分が正義だから守られていると誤解して、注意に自分の怒りを上乗せするのです。こういうことが社会ではよくあって、ルールを取り締まる人はこの手のタイプが多いです。立場や権力を利用して、自分のストレスを無意識に上乗せして注意する。これじゃ世の中よくなりません。
ふかわりょう BLOG: 第345回「How you say is more important than what you say.」
ふかわくん、いいことゆうな。
(via bo-rude)
(via toronei, narima74) (via katoyuu) (via exposition) (via konishiroku) Via コニシロク タンブラー思い通りにならないと、とりあえず脅してみる、というのは何も版元だけを相手に行われるものではなく、アマゾンの方針がそうなのか、と思わせる事もあった。日本でも、アマゾンは単に倉庫が日本にある外資の会社、ということで税金逃れをしているわけだが、アメリカ国内でも同じようなことが起こっている。
アメリカでは州ごとに消費税が全然ちがい、客が州外から通販でモノを買うと消費税がつかないところが多い。アマゾンはこれを拡大解釈して、州内に倉庫があってそこから州内に発送されていても、取引は本社を置くワシントン州で行われたものとして、テキサス州内で売れた本については消費税を払っていなかった。テキサス州政府が今年初め、これを不服として追徴金2億7000万ドルを支払えと訴えを起こしたところ、アマゾンは、だったらテキサスの倉庫を閉鎖して今後もテキサス州には倉庫を作らないと脅しをかけた。
他にも全部で6州、アマゾンの倉庫がありながら消費税を支払っていない州があるのだが、テキサス州と同じ措置をとろうとしたサウスキャロライナやテネシー州からも撤退すると言っている。各州の州政府はアマゾン以外のオンライン店にも対応できるように法改正をしようとしているところが多い。
– 本当は怖いアマゾンの話—Amazon Tales of Horror (via otsune) Via コニシロク タンブラー辞書によれば、「エース」というのは、なにかに秀でた人に対して使われる言葉である。
また、空中戦で5機以上仕留めた戦闘機のパイロットも「撃墜王(エース)」と呼ばれる。
第2次世界大戦では、実に1,285名ものエースが生まれた。
では、それらエースたちはどうやって殊勲をたてたのだろうか? 大多数はいわゆる「ドックファイト」―接近した空中戦で手柄をたてている。そして、多くのエースたちが最終的には撃墜される運命をたどった。
しかし、ここで紹介する二人のエースは例外である。彼等が編み出した独特の戦法と、それを採用したそもそもの理由は、投資家にも非常に参考になる。
「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ドイツ空軍のエーリッヒ・ハルトマン少佐とその師であるパウレ・ロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけでも敵機352機を撃墜し、ロスマンも80機以上撃墜している。
独特の戦法を最初に考案したのはロスマンである。戦闘機パイロットになりたての頃、ロスマンは腕に完治不能の傷を負った。通常、接近した空中戦では体力的に勝っていた方に勝利の女神が微笑む。普通の戦法では到底生き残れないことを悟ったロスマンは、いろいろ考えた末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。彼は体力勝負の接近戦をやめて、もっと計算し尽くした戦法に切替えることにし、一つ一つの攻撃について慎重に計画を練り上げた。敵に実際に銃弾を浴びせる事よりも、どういうチャンスをものにするか、さまざまな状況を分析することにより時間を費やしたのである。彼が攻撃に出るのは確実に勝利できるポジションを取れたときだった。このときに、理想的な標的となった相手にありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、自らの武勲で証明した。ハルトマンが通算1,425回の戦闘任務から無事生還し、怪我1つ負わなかったのはこの戦法のおかげだった。
(中略)
ドイツの撃墜王の話は、億万長者がどんな職業を選ぶのかという章の前触れとして書かれたものである。多くのアメリカ人は、高収入を得るために、MBAを取り、大企業に入ることを目指す。ところが、苦労してMBAを取って大企業に入ると今度は恐ろしい数の競争相手がいて(数十万人)、同じような優秀な人達と戦わねばならない。そして、最後まで勝ち残れる人はほとんどいない。先ほどの例でいえば、体力と技量に自信があるものがドックファイトを挑むが、ほとんどが最後には打ち落とされるという話に呼応する。
一方、億万長者を調べてみると、高学歴でない人が多い、いわばロスマン軍曹のように「傷を負った腕」を持っているわけだ。彼らの職業の選び方は、みんなと違った発想で、自分が好きで、競争相手があまりいない、高い収益を生む職業を選ぶ。
スタンレー氏は、こう言いたかったのだろう、空中戦も職業選択も同じ。
「どう戦うか」よりも「どこで戦う」が重要になる。
–トマス・スタンリー氏の「なぜ、この人たちは金持ちになったのか」という本の一部
(via asa-nebou) Via (^ω^)やる夫のチラ裏やるお(^ω^)215: しんちゃん(広西チワン族自治区):2010/10/17(日) 07:04:04.91 ID:zLAoL3hLO
月20万で9-18定時で土日祝休み&ゴールデンウイーク盆一週間休み&正月10日休み
このくらいなら働いてやってもよいぞよ
219: ポテくん(福岡県):2010/10/17(日) 07:15:09.04 ID:ojPKmn2C0
»215
ほぼうちの職場だな 月30弱 ボ4ヶ月 8:30〜18時(1.5時間休憩) 残業年10時間以下休日ほぼカレンダー通り 内科系クリニック(病棟無) 検査
おまけでメディクラ、看護婦とかと美味しい事色々
221: ビバンダム(内モンゴル自治区):2010/10/17(日) 07:20:40.82 ID:ABikwg7sO
»219が言うように医療技師もオススメ。大学じゃなく専門でしっかり勉強して資格とればバラ色の人生。
だが、専門も大学や社会人が目指して勉強しに来ているから狭き門?
232: メロン熊(内モンゴル自治区):2010/10/17(日) 07:30:12.33 ID:MFoa2A27O
»219
内科系クリニックでの検査て
なんて職種なん?
272: ポテくん(福岡県):2010/10/17(日) 08:02:00.31 ID:ojPKmn2C0
»232
臨床検査技師 患者さんとの対応は看護婦まかせで 仕事上のストレスはまず無い 職場内の人間関係さえ適当に保っとけばオケただ辞める人いないんで求人殆ど無し
理学療法士,作業療法士も今じゃ余ってる
275: メロン熊(内モンゴル自治区):2010/10/17(日) 08:07:36.38 ID:MFoa2A27O
»272
現職の人は良いけど資格とっても就職はかなり厳しい状況なのね
321 :名無しさん@十一周年:2010/08/02(月) 17:32:26 ID:+jnumTpE0
娘「役所が調査にくるんです!至急お願いします!」
老人代行業「はい、すぐ派遣致します!」
今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。
曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。
別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。
「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。
一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。
「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。
私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。
「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。
結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。
相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。
こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」
それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。
結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。
「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。
それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。
相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。
そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。
具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。
「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。
「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」
– 本当はわかっているくせに - 背後からハミング (via naimononedari) (via karlmcbee) (via wonderthinkanswer) (via erohi)2010-07-17 (via yasaiitame) (via takeakick) (via tatsukii) (via tkamiya) (via hanwarai) (via toronei) (via gkojax) (via masarst) (via konishiroku) Via コニシロク タンブラー
今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。
曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。
別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。
「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。
一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。
「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。
私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。
「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。
結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。
相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。
こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」
それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。
結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。
「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。
それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。
相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。
そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。
具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。
「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。
「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」
– 本当はわかっているくせに - 背後からハミング (via naimononedari) (via karlmcbee) (via wonderthinkanswer) (via erohi)2010-07-17 (via yasaiitame) (via takeakick) (via tatsukii) (via tkamiya) (via hanwarai) (via toronei) (via gkojax) (via masarst) (via konishiroku) Via コニシロク タンブラー



